【モンターニュの歴史】
フランスに定着してからも、モンターニュは様々な歴史を作りました。何世紀もの間、家畜の群れを護るという、大切な役目を果たして来たモンターニュが14世紀に入り、ピレネーにある領主の城を警護し始めます。フォア城、オルテーズ城、カルカッソンヌ城などです。領主であるガストン・フェビュス(1331~1391)が、「狩猟日誌」にモンターニュを描写しています。犬としての性質の良さや家畜と館を護る本能の素晴らしさを褒め、信頼に足る犬と認めていました。
その後、17世紀になってから、モンターニュは華やかな社交界にデビューすることになります。ルイ14世とマダム・ドゥ・モンテスパンの間に生まれたメーヌ公が、バレージュ温泉に出かけた折に8ヶ月のモンターニュに出会い、その犬をヴェルサイユに連れて帰りました。それから貴族達の間でモンターニュを飼うことが流行だし、いつしか愛玩犬としての道を歩み始めたのです。しかし、フランス革命が起きると、傲慢な貴族階級の象徴として、すべて抹殺されてしまいました。悲劇の末路です。
ピレネーの山に残ったモンターニュは、羊飼いと共に本来の仕事に励んでいた為、命拾いをしたのでしょう。とは言え、19世紀の半ば頃には、コートレで毎日曜日に犬の市が開かれ、山から連れてこられたモンターニュが売られていました。ある時期に、夥しい数のモンターニュの仔犬が、この土地からいなくなったのです。散り散りになった犬達を守る組織もないまま、モンターニュの存在は衰退して行きました。これも又、悲劇としか言いようがありません。
やがて、モンターニュの純血種を育成する組織が結成され、犬種の知識の普及と維持、改良に力を注ぎます。1863年のドッグショーに出陳された後、65年のショーにも出て、人々に強烈な印象を与えました。それからは、毎年のようにモンターニュが出陳され、賞を取るようになります。モンターニュの近代飼育の先駆者として有名なテオドール・ドゥレッツェン氏は、ザイエラという犬舎を持っていて、ショーでは何度も最優秀を受賞しています。彼は、近親繁殖を避ける為に、ピレネー山中の彼方此方から犬を見つけて来ました。ピレネーから遠く離れたパリにある犬舎でしたが、モンターニュにとって最高の環境を与え、体調維持に努めたのです。その甲斐があって、1911年にはポルトスがフランスで一番美しい犬として、大統領賞を受賞しました。
1907年に、最初のモンターニュのクラブ「牧人クラブ」がコートレに設立されます。初めて、公式のスタンダードも発表されました。一方では、アルジュレ・ガゾーに「ピレネー犬クラブ」が誕生します。しかし、この2つのクラブは対立こそすれ、あまり成果も出せないまま消えて行く運命だったようです。
1914年に第一次世界大戦が始まると、モンターニュもその混乱の影響を免れることは出来ませんでした。飼育の不振が10年程続いた後、1923年に待望のRACP(ピレネー犬愛好者の会)が設立されました。ルルドに程近い、ラヴダンという、雄大な風景を持つ土地に生まれたその会は、公式のスタンダードを作成し、中央畜犬協会にも加入して、この犬種の保存と普及に心を砕く人々の集まりそのものでした。会長のセナック・ラグランジュ氏は、精力的にピレネーの谷々を歩き、繁殖に適した犬を探し出しました。そして、良識ある犬舎(スム犬舎、ラングラデュール犬舎、ベトゥプイ犬舎)と密に連絡を取りながら、スタンダードに敵った犬の選択と繁殖を管理します。その結果、理想的なモンターニュとして絶賛を浴びたのが、ガゾスト・ドゥ・ベトゥプイです。
ガゾストは、同世代の犬の中でも一番多くの賞を取りました。雌のエストム・ドゥ・スムとの間には、1931年に伝説的なユルド・ドゥ・スムが生まれています。アメリカのバスクアエリ犬舎のこの犬は、次々と米国チャンピオンを生み出す系統の始祖となりました。勿論、原産国のフランスでも、新しい犬舎が徐々に増えて来ます。今世紀後半に創設された犬舎の中で特出していたのが、ドッカン夫妻のグラン・バウーとジラ夫妻のコンテ・ドゥ・フォワです。この2つの犬舎の犬の影響力は、フランスだけでなく、イタリア、スイス、ベルギー、オランダ、スペインなど、ヨーロッパの多くの犬舎に及んでいます。
グラン・バウーとコンテ・ドゥ・フォワから出た有名な犬は…と言えば、それこそ枚挙にいとまがありません。コンテ・ドゥ・フォワで、敢えて名前を出すとしたら、モンターニュの頭部の美しさで群を抜いているミクーヌとナルザンでしょうか。それと、1991、92、93、95年の全国大会で最優秀犬に選ばれたエストムも忘れてはいけません。グラン・バウーでは、ジャゾン、ロメオ、オクメの3頭が最も美しい犬でしょう。雌で外せないのがレズィーユです。おそらく、この犬種の中で最多のチャンピオンタイトルを獲得したはずです。
1960年代の終わり頃には、個性的な犬舎が活動を始めました。マリー修道会のシスター達のガビゾー犬舎です。ガビゾー山麓の小さな村にある修道院の犬舎は、あまり時流に乗る事もなく、丁寧に観察力を駆使して、犬の淘汰をしながら優良なモンターニュを残しました。
1970年代になると、ヴィダロ犬舎、モンベルヌ犬舎、バッカラ犬舎、ナルデスカ犬舎などが活躍し始めます。特に、忘れてはいけないのが、デュクレー氏のサヴォワ犬舎です。頭数を増やさず、丹念に飼育された犬達は、毎年のように優秀な成績を収めました。このサヴォワ犬舎から、1頭の雄のモンターニュが日本にやって来たのです。ヴァル・フィエール・デュ・デュッシェ・ドゥ・サヴォワ、私達の誇り高きモンターニュです。
1980年代に誕生した犬舎で外せないのが、ブノワ・コッカンポット氏のピック・ドゥ・ヴィスコス犬舎です。氏は現在、RACPの理事を務めながら、今なお素晴らしい犬を作出している、ピレネーでも最高のブリーダーです。そして、すべてのモンターニュファンの為に「ル・モンターニュ・デ・ピレネー」という本まで著しました。どの項も充実した内容で、モンターニュを飼う上でとても参考になります。
そして、このヴィスコス犬舎からも、美しい1頭の雌が日本にやって来ました。アマドゥ・デュ・ピック・ドゥ・ヴィスコスです。アマドゥについても、ヴァル同様、後ほどゆっくり述べることにします。その後、犬舎を持つブリーダーは、予想以上に増えて行きました。栄光を手にするブリーダーがいる一方で、努力をしないブリーダーがいるのは、どこの国でも同じかもしれません。
1980~1990年代には、フランス以外の国から出陳された犬が、全国大会で高い評価を受けるようにもなりました。特に近年、世界中から集まって来る愛好者、飼育家で、全国大会は国際色豊かになりつつあります。そんな華やかな舞台ではなく、本来の仕事に精を出しているモンターニュに、今こそスポットライトを浴びせなくてはいけません。
19世紀半ばまで、ピレネー山脈には数多の熊や狼がいました。羊飼いの大事な財産を、野獣から護るのがモンターニュの仕事です。危険を察知すると、あの独特の響く吠え声で羊飼いに知らせます。時には、闘いを挑むこともありました。如何にモンターニュが勇敢であろうとも、あの巨大な熊に簡単に勝てるはずがありません。万が一の事を考えて、昔の犬達は、鋭い針状の鉄片のついた首輪をしていました。今でもアルジュレやルルドの博物館で見ることが出来ますが、野獣の攻撃から喉を護る為の夜間用の首輪でした。
しかし、ピレネーの山から狼や熊の存在が消えてしまい、モンターニュの仕事も上がったりです。そうは言っても、羊飼いにとっての護衛犬は、モンターニュ以外に考えられません。ピレネーではともかくも、牧畜の盛んな国や地域では、相変わらず、モンターニュに頼る部分が大きかったのです。そして、生国のフランスでも、モンターニュが羊の群れを護る風景を多く目にするようになりました。ピレネーに熊を移入したからではなく、増え過ぎた野犬が羊の群れを襲うようになった所為なのです。モンターニュを1頭入れて観察したところ、捕食動物は殆どが素通りして行きました。大成功です。これでモンターニュは、本来の仕事を再開することが出来ます。今では、モンターニュを持たない羊飼いを捜すことの方が、難しいかもしれません。ドッグショーを飾る美しい犬の存在も、それなりに意義があります。しかし、ピレネーの山で働いているモンターニュほど、輝かしい存在があるでしょうか。やはり野に置けれんげ草…という思いが、心を過ります。